自然主義的誤謬
って何???
自然主義的誤謬(しぜんしゅぎてきごびゅう)は、 naturalistic fallacy の訳語である。20世紀初頭に G. E. ムーア が著書『倫理学原理』の中でこの言葉を導入した。その後この概念は、本当に誤謬なのかどうかも含めて、多くのメタ倫理学者によって再解釈・検討され、メタ倫理学の中心課題となってきた。
ムーアの議論
ムーアによれば、自然主義的誤謬とは、「善い」(good) を何か別のものと同一視することである。その何か別のものの内には、われわれが経験できるような対象も含まれるし、われわれが経験できないような形而上学的対象も含まれる。「善い」を経験できるような対象(たとえば「進化を促進する」)と同一視するのが自然主義的倫理、「善い」を形而上学的対象(たとえば「神が命じている」)と同一視するのが形而上学的倫理である。この二つの立場が共通しておかしているのが自然主義的誤謬である。(『倫理学原理』p.39) したがって、一般の解説書によくある、「善を自然的対象と同一視するという誤り」という自然主義的誤謬の定義はムーアの本来の用法からずれている。
ではなぜ「善い」は定義できないのか。ムーアは、定義とは複合概念を単純概念の組み合わせにおき直すことだとした上で、「善い」は単純概念だからこの意味での定義のしようがない、と論じる。これは「善い」に限らず、「黄色い」でも同じことであり、「黄色い」を定義しようとする人も自然主義的誤謬と同質の誤りを犯していることになる。自然主義的誤謬はしばしば「「である」から「べし」は導けない」というヒュームの法則と同一視されるが、これもまたムーアの意図と違っているということが「黄色い」との対比からも明らかである。
自然主義的誤謬の概念を武器に、ムーアはスペンサーの進化倫理学やジョン・スチュアート・ミルの功利主義(以上は自然主義的倫理の例)カントの倫理学(これは形而上学的倫理の例)などを批判する。
ムーア自身の立場は、「善い」は直観によってのみ捉えることができる性質である、という直観主義であった。自然主義が「善い」と経験的対象の関係を定義的な関係だととらえ、「Xは善い」という命題が(ある種のXに対して)分析的な命題となると考えるのに対し、直観主義においては、「Xは善い」という命題は常に総合的な命題である。
(以上、ウィキペディアより引用)
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